若問日本家傳戶曉之歌曲,除了「さくら櫻花」,最著名就是「荒城之月(こうじょうのつき Kōjō no Tsuki)」了。
二十幾年前我初學小提琴。以初中學生年紀來看照理應不大聽懂這樣蒼涼的曲子,偏偏這個當年弱不禁風架著眼鏡的少女對「荒城之月」驚為天人-或者那是個為賦新詩強說愁的年紀,「荒城之月」就一直在少女的我腦海裏留下深刻的印象。
2016年親訪仙台,在「荒城之月」的父親、土井晚翠像前拍照留念。
荒城之月(明治34年)由土井晚翠(1871-1952)作詞、瀧廉太郎(1879-1903)作曲:
1.春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)か
げさして 千代(ちよ)の松が枝(え)
わけ出(い)でし 昔の光いまいずこ
2.秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ
3.いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)
4.天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
在維基找到古雅的中文翻譯-
- 春高樓兮花之宴 交杯換盞歡笑聲 千代松兮枝頭月 昔日影像何處尋
- 秋陣營兮霜之色 晴空萬里雁字影 鎧甲刀山劍樹閃 昔日光景何處尋
- 今夕荒城夜半月 月光依稀似往昔 無奈葛藤滿城垣 孤寂清風鳴松枝
- 天地乾坤四時同 榮枯盛衰世之常 人生朝露明月映 嗚呼荒城夜半月
剛才說到自己在少年時代已經知道「荒城之月」。
原來在日本,小學生已經開始學習這些「人有悲歡離合、月有陰晴圓缺、此事古難全」的悲傷情節。我不禁暗想:難道十歲左右的小孩子明白甚麼叫做無常?
盡管看看日本人如何讓小學五年生的歌曲如何解釋這些古語,讓小朋友們知道這些典雅的說話是甚麼意思吧!
以下資料來源是「教科書に出てくる歌のことば図鑑・5年生の歌」。
把歌詞翻譯成現代的日本語體文,令他們眼前浮現一幅明顯清晰的圖畫讓小朋友理解這是一個怎麼樣的情況。
雖然背後的意義感慨就沒有怎麼着眼。
1.春には、もとここにあった城の中で、にぎやかな花見の宴がはられたにちがいない。
はずむ声。笑い、そして酒をくみかわす盃……。
そして、城壁の大きな松の枝あいからは、月の光がさしこんでいたに違いない……。
そんな、昔の面影はどこへいったのだろうか。
2.秋は秋で、戦いにそなえて、陣営の中は、ぴーんと張りつめたふんいきであろう。
その空には、渡る雁の姿も見えていて……。よろいに身をかためた武士たちの、槍や刀 をそっと照らしていた、あの昔の光は、どこにいってしまったのだろうか。
3.いま、月は昔と変わらぬ光を投げかけているが、荒れ果てた城あとには人の気配もな い。
垣には、ただ葛が生い茂り、松の枝を鳴らしているのは、さびしい風の音だけだ。
4.大自然の移りゆきは少しも変わらないのに、人の世は栄えたり、亡びたりをくりかえし ている。
その人間のはかなさを告げようとでもいうのだろうか。荒れ果てた城に、いま、月の光 はこうこうと降りそそいでいる。
要是你的年紀比較大,或者會嫌針對給小學生的解釋太表面。於是我們看看另一本由船木枳郎著的「日本童謠童話史」,我就試著把意思大約翻譯一下,讓大家看看內容賞析。
月明の夜に「荒城」あれはてた城の前に立って栄枯盛衰の感慨に耽っての発想がこの詩となっているのであります。
這是一首在月明之夜、一座荒廢的城前回憶起過往繁華盛世的日子,感慨物轉星移、表達物是人非事事休的的感傷詩句。
この詩の大意は、毎年春になればこの城の領主は「高楼」(たかどの。やぐら)で桜の花見の宴を催した、そして、年毎にめぐりくる花の宴も、「盃かげさして」盛大でなくなり、「千代の松が枝」茂り栄えたその枝の向こうから月の光りが照してた、そのような領主の勢威も今はもう過ぎ去った日のこととはなった。
這首詩的大意是每年春天的時候這座城的領主都會在高樓舉行賞花的盛宴。每年的盛宴裏大家拿着酒杯暢飲言歡,窗外象徵千秋萬代的松樹枝椏反映照着月光。年年月月逝去,領主亦已經去如黃鶴,只餘下寂寞的高樓依然在映照着月亮。
領主が盛んなりしころは、秋の夜、白い霜のおりる夜、鳴きわたる雁も二羽三羽、五羽六羽、十二三羽と列をなして、折から英気を試すために陣営にあった領主が抜き放つ日本刀のやいばに照る月光のかがやき、その領主の勢威も今はもう返らぬものとはなった。
在領主的全盛時期,秋天降霜的夜晚裡,天空的雁兒雙雙對對翱翔天際,英氣迫人。領主在月光下的刀光劍影閃閃發亮。當時領主的威勢,今天又何去何從呢?
夜ふけの荒れはてた城の上に今夜も月が出ている。その月光は遠いむかしも今も変りはない。この月光は盛者のためにのみに照りそえているのではなかったのだ。ああ盛者必滅、今この荒城の石垣にのこるはただ蔦かつら、石垣からのぞく松に声なし、風に音なし、相ふれて栄枯盛衰の悲哀を歌っているのだ。
在今日的夜裏這個荒廢的城池之上月亮依然照耀着萬物。這個月亮從過去到現在至將來都不會因為成功的人而閃耀,也不會因為一個人的消逝已失去光芒。世事往往由盛極轉衰,所謂「原來紫嫣紅開遍,似這般都付與斷井頹垣」。寂寞的松樹、無聲的風聲就在這裏低聲吟唱著世間的悲哀。
這就是我們中國的詩句:「今人不見古時月,今月曾經照古人」。不論是日本的詩人還是中國的詩人,看到月亮都能夠聯想一大堆。年年歲歲花相似,歲歲年年人不同,今日我在這裏看這個荒城之月,或者他日就有人在我的墳前看着一個又圓又大的月亮。
櫻花凄美浪漫,日本人看着她聯想到生命的脆弱。嬌艷欲滴的櫻花雖美但短暫,死後飄散泥地任人踐踏。林黛玉看到遍地的花瓣忍不住把他們埋葬,化作春泥更護花。
可是普遍的花又能夠落得甚麼的下場。每個人都有開花、花謝一刻,但是能夠被惜花人以香袋盛載得到一杯淨土掩風流的又有幾許人家?